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2009年10月02日

人間



今日は何だか
色んな事を考えていました。


生まれてから
今日までの私の半生…
色んな事があったなぁ〜ってさ。



実は私さ、
こうみえて
子供の頃は妙に
生きる気力のない子供でさ(汗)
自殺願望というか とにかく「生」に繋がるのがとにかく嫌な子だったんだよ。だからご飯も無理矢理食べさせられて 寝るのも嫌でさ、 夜になったら目が冴えて
子供ながらに
自分が嫌で
世の中が嫌で嫌でさ…

そんな時、妹が産まれてさ


またその妹がとっても人なつこくて
天使みたいでさ
それが余計
自分は悪魔なんだみたいな
それはそれは
悪循環でさ(笑)
今となっては考えられないぐらい暗い幼少時代だったわけさ。


それを見かねた
私の母が
どうにかしようと
エホバに入れよったんだけど
またこのエホバを学べば学ぶ程、
エホバに対して不信感が湧いてきたんです。
それでけっきょく
エホバも一年で辞めてしまいました。


そんな光のない私に光を当てたのは
神様でも母でもなく、
小学校一年生の時に転入してきた「しん」でした。



名前の通り
しんの通った
キリッとした目だけど口が大きく、
当時の子供達の憧れの天然ストレートヘアーの女の子でした。
見た目がすごくかわいいのに
いざしゃべってみると、これが典型的B型の超マイペースの妄想族でさ(笑)


とにかくこの
しんに引っ張られたという感じ。
初めて家族以外の人間に心を開けたと言うか…


しんのおかげで
偏食も治った。
そのきっかけも鮮明に覚えているよ


私の母は子供は危ないからって
台所に立たせてくれなかったんだけど
しんのお母さんが比較的
しんに何でもさせていてさ、
初めて台所に立ったのもしんのお家でだった。
冷凍のアスパラを
バターと塩コショウ沢山入れて
醤油もドバドバかけたもの。
それが初めて
野菜って美味しいんだなって気づかせてくれた。


しんとは小学校一年生から6年生まで
ほとんど毎日一緒で、その間に私にも
弟が産まれたり、しんにも弟が産まれたり、
しんのお兄ちゃんのヤンマガで「いけないルナ先生」を読んで性に目覚めたり(照)
一緒に新聞配達やったり


今の私のベースが出来たのは
今でもはっきりと
言える。
しんのおかげだと思う。


残念な事に
しんは中学から別の学校に行く事になり

それ以来
彼女とは会ってない。


でも本当に
ここでは書き尽くせないぐらいに
私にも私なりに
ドラマがあった。

家族みんなで貧乏した時、
昔の私なら
また死にたいと逃げていただろう。
だけどしんと過ごした毎日が
私をだいぶ
楽天的にしてくれました。
妹や弟を
可愛いと
心の底から思えるようになりました☆


しんのいない中学時代は
少しだけ苦労したけど


高校生になると
しんに習った明るさでいたら
ハナに出逢えた。
ハナは私やしん程馬鹿じゃないけど
私やしんよりも
社交的だと思う。


ハナがおくさんやなおちゃんや
沢山の仲間を私にくれました。


毎日おバカな事を言って
とにかく輝いていたかな(テカテカ照)

そして今思えば
がむしゃらに青春もしてたよ♪
思い出作りに文集を作ったり
ハナん家に集まって、鍋食べて
ハナのお母さんが
少しちょうだいって小皿にわけて食べたりしてさ…


本当に何でもないような普通の日々の中にも
結構色んな事があった。


悔しくて泣いて
どれだけ自分を追い詰めただろう。


沢山の出逢いに
感謝して
幸せの涙をながした事もあった。



そして旦那との出逢い。


待ち望んだ子供の誕生


仕事の事
家庭の事


そして


ブログの事。


ブログの向こう側にも

沢山の人生がある。

その送る日々は
泣いてても
笑っていても


何だかとても「生」に溢れていて


何だか 幸せです。


なぜ今日
こんな長文を書いたのか
わからない。
いつもならこんな事書かないだろう。


でもなんだか
稀に
こんな事を考える
タイミングがあった時、
たまたま
人間が生きると言うことは


いや


私が生きると言うことは


いかに周りに支えられ
いかに
周りの人生に学びながら
色んなヒント得て
ここまで生きてきたんだなって
考えると


子供の頃の自分も 喜んでいるような気がしてさ。



そんな私が今はイッチョ前に
母親なんてしてるんだからねぇ(笑)



人間って








人参っていう字に
似てますね(照)






追伸
この記事打つのに
一時間かかってます(笑)


こんな長文読んでくれた皆さん
大変
お疲れ様でしたm(_ _)m



Posted by 深爪 at 23:02